ネタニヤフ後を構想すべき時が来た

ネタニヤフ首相は、しばしば「安全保障」を最大の正当化根拠にする。たしかに、イスラエルがハマスやヒズボラ、イラン系勢力の脅威に直面してきたこと自体は否定できない。問題は、その脅威への対処が、必要な範囲を超えて行き過ぎていないか、そして結果として地域全体の不安定化を広げているのではないか、という点だ。Reutersは2026年4月、停戦模索の局面でもイスラエルがレバノンなど複数戦線で攻撃を続け、事実上「終わりのない戦争」に踏み込んでいると報じた。
さらに深刻なのは、ネタニヤフ氏の政治が危機管理というより、危機の持続と結びついて見えることだ。2023年10月7日の大規模攻撃をめぐる責任検証には抵抗が続き、本人の汚職裁判もなお終わっていない。つまり彼は、国家的危機と自らの政治的生存を同時に抱える立場にあり、戦争を終わらせるより、危機を延命させる誘因を持ちやすい構造にある。
国際法の面でも状況は重い。国際刑事裁判所は2024年11月、ネタニヤフ首相らに対する逮捕状を出した。有罪確定ではないが、現職首相の行動がここまで強く国際司法の対象となっている事実は軽くない。加えて、ガザやレバノンでの民間人被害は極めて大きく、Reutersはガザでの死者増加やレバノンでの多数の死傷・避難も伝えている。自衛を掲げても、被害が無制限に許されるわけではない。
もちろん、トランプ氏と単純比較するのは乱暴だ。トランプ氏は制度を揺さぶる型、ネタニヤフ氏は軍事と地域秩序を直接不安定化させる型で、危険の質が違う。ただ、後者のほうが、いまこの瞬間の破壊と連鎖を拡大させている面は強い。だから必要なのは暴力的な「排除」ではなく、選挙、司法、独立調査、そして同盟国の圧力によって、彼が危機を権力維持に利用できない状態をつくることだ。中東の安定、国際法の信頼、そしてイスラエル自身の長期的安全のためにも、世界は本気で「ネタニヤフ後」を考えるべき段階に来ている。
[2026/04/10]
